居眠り磐音・自問自答

「あれこれ」書きたいのですが、・・・、たぶん、・・・、ずっと「居眠り磐音」一辺倒!

170.あの場所は今  9「唐傘長屋」 20210123

居眠り磐音 江戸双紙 「あの場所は今」 9
「唐傘長屋」

磐音の江戸暮らしでの師匠の幸吉やおそめ、おきねが住んでいる長屋です。

その場所は


居眠り磐音江戸双紙 02 寒雷ノ坂 第2章-第二章 東広小路賭矢 p98(双葉文庫版)文春文庫の決定版では p98)に

「それがし、坂崎磐音と申して、深川六間堀町の金兵衛長屋に厄介になってお
る」
「なんだ、うちと同じご町内だ」
と言ったのはおきねだ。
「あたし、猿子橋際の唐傘長屋」
「おうおう、天気ならば堀端に傘が干してあるところか」
「それそれ。金兵衛さんには子供のときから怒鳴られながら育ったわ」
と笑ったおきねは、・・・

とあります。

 

猿子橋の西側は 「御籾蔵」(←磐音のいた時にはなかったのですが)と「金兵衛長屋」がありますから 東側にあることになります。

猿子橋東詰の北側か南側かと言えば 明和8年(1771)の分間江戸大絵図でも 南側は 「井上河内守」の屋敷になっているので 北側ということになるはずです。

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吉田喜久雄さんの労作「『居眠り磐音』江戸地図」でも 北側で六間堀東河岸路を少し北に行ったところとなっています。

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そこで 行ってきました。

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以前 「猿子橋」と紹介した写真ですが 奥の横断歩道手前から中央の立ち樹までの道路が「猿子橋」でその奥シャッタの降りているビルの左側に入ったところに「唐傘長屋」があった場所と言えます。

六間堀川は 埋め立てられて ビルが建っています。

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上の写真は猿子橋東北角から東河岸路沿いを撮ったものですが 「唐傘長屋」は左側に写っている車の手前の建物辺りから奥になるかと思います。

磐音がいたころとは 道幅も違うでしょうから ま 相対的な位置で ということにしてください。

 

 佐伯泰英さんにお願い!

磐音シリーズの新作「幼なじみ」なんかを 書いていないで 「空也十番勝負」の続きを 書いてください!

 

 

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