居眠り磐音・自問自答

「あれこれ」書きたいのですが、・・・、たぶん、・・・、ずっと「居眠り磐音」一辺倒!

179.あの場所は今 14「品川柳次郎邸」 20210326

居眠り磐音 江戸双紙 「あの場所は今」 14
「品川柳次郎邸」

奥さんが テレビの「居眠り磐音 江戸双紙」を見ていて 原作を読み始めて はまっちゃって 僕もつられて 見たり読んだりして はまっちゃいました。
そこで 磐音と闘った人たちとか 各巻各章に出てきた人たちとか 磐音ゆかりの場所の今とか を紹介したくなって、・・・、紹介しています。

「品川柳次郎邸」の場所が 一番初めに出てくるのは
居眠り磐音-01-陽炎ノ辻 第三章-騒乱南鐐銀 p175 に
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 柳次郎の屋敷は同じ深川の北割下水にあるといった。
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だと思います。

決定版では p181 に
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 柳次郎の屋敷は同じ本所深川の北割下水にあるといった。
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と 「本所」が入っています。

文中 同じ とあるのは その前に 竹村武左衛門の長屋のことかと思います。
ま 竹村武左衛門の長屋は 南割下水の 半欠け長屋なのですが。

他のところを見ても 「北割下水」となっていて ピンポイントで場所がわかるような記述はないようです。

ただ 居眠り磐音江戸双紙-03-花芒ノ海-第1章-深川夏出開帳 8p(決定版では14p)に
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 それでも御家人のこと、敷地は二百坪ほどの広さがあった。
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とあって 今から見ると そこそこ、・・・、いや かなりの広さだな と思います。

吉田喜久雄さんの労作「『居眠り磐音』江戸地図」では 次のように描かれています。

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この図を頼りに 品川邸のあった場所は 墨田区本所3丁目12 と推測しました。

 行ってきました。

次の写真は 北割下水の対岸から 品川邸の北西角を見たところです。

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次の写真は 北割下水対岸から見たところです。
白い車の向こう側が 品川邸です。

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G の距離測では
金兵衛長屋から 品川邸までは 2.8km 徒歩36分
今津屋からは 2.2km 徒歩29分
鵜飼百助邸からは 550m 徒歩7分
となりました。

 

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