居眠り磐音・自問自答

「あれこれ」書きたいのですが、・・・、たぶん、・・・、ずっと「居眠り磐音」一辺倒!

226. あの場所は今-18「刈谷札ノ辻+称名寺」-20230508

奥さんが テレビの「居眠り磐音 江戸双紙」を見ていて
原作を読み始めて はまっちゃって 僕もつられて
見たり読んだりして はまっちゃいました。
そこで 磐音と闘った人たちとか 各巻各章に出てきた人たちとか
磐音ゆかりの場所の今とか を紹介したくなって、・・・、紹介しています。

あれこれ紹介してきて 

「イワネ」の話の流れでは ずっと後になりますが
名古屋の「伝馬会所+札ノ辻+聞安寺」の今を紹介します。
名古屋の「伝馬会所+札ノ辻+聞安寺」が 初めに出てくるのは
居眠り磐音江戸双紙 第三十四巻 尾張ノ夏 第一章 おそめの夢 p040です。

と書いてから 1年近く経ってしまいました。
長いお休み(?)になってしまいましたが やめたわけではありません。
これからも 細々と 続けていきたいと思います。

今回の「あの場所は今」の場所は 三河刈谷宿「札ノ辻」とその近くにある「称名寺」です。

ここが 一番初めに出てくるのは 
居眠り磐音江戸双紙 第三十二巻 更衣ノ鷹(下) 第三章 違イ剣 182ページです。

「わが先祖は家康様のご母堂於大様の故郷、三河刈谷宿の出である。
それがし、刈谷を訪れたことはない。ためによう地理は分からぬ。
じゃが、札の辻近くに称名寺という寺があるそうな。
佐々木家は元々そこが檀家寺であったそうじゃ。
父より聞かされた最後の一条は、江戸の佐々木家に異変あらば、刈谷宿の称名寺にすべてを移せとな」
「すべてと申されますと」
「墓石を抱えて東海道を行くこともできまい。心構えのことであろう、とそれがしは理解しておる。つまりじゃ、この玲圓が田沼様との戦いに敗れしとき、さらには佐々木家の存続立ちゆかぬとき、
わが遺髪を刈谷称名寺に納めれば、それでことはおさまろう。
いくら田沼様とて、あの世まで佐々木家を追いまわすことはなさるまいからのう」
「その役をそれがしに負えと言われますか」
「そなたしかこの役を果たす者はおるまい」

とあります。
その後のことは 佐伯さんの本を読んでください。

Gの地図を頼りに 刈谷の札ノ辻と称名寺 に行ってきました。

刈谷市駅から「於大通り」を歩いて 突き当りを左へ行った銀行の角にあります。

 

正面から

 

銀行の宣伝をするわけではないけれど わかりやすいので

 

「札ノ辻跡」から東へ歩いて 右側にある「秋葉神社」境内にある案内図です

 

称名寺」は 道を挟んだ「秋葉神社」の向かい側に見えます。

 

秋葉神社」から道を挟んだ向かい側の様子です。

お寺らしいものはありません。

 

実は Gの地図では 「廃寺」となっていました、・・・、確かに。

 

すっかり 跡形もなく、・・・、ちょっと かなりさみしい。

 

称名寺」境内の面影・痕跡は全くありませんでした。

 

ウエブ上のどこかに 「刈谷称名寺」のことが載っていないかしら? と探しました。

亀城小だより「文禮」平成25年11月11日(月) 第12号に 
「学区の歴史を学びました」という記事があって その中の「見学先一覧」に
⑮札の辻跡 ⑯称名寺 ⑰松秀寺 ⑱秋葉社 と「称名寺」の名前が しっかり書かれていました。
平成25年つまり 2013年には 存在していたことになると思います。
佐伯さんが 第32巻を書いて 出版された年は 2010年なので その当時は
称名寺」は 実在して イワネの話に入れることができた ことになります。
 
佐伯さんて なんかすごい!
「イワネ」は はじめのうちは 江戸で 細々と 格好よく 活躍している 「時代小説」の主人公だったのが 途中から 「歴史小説」の主人公として 活躍するようになったのですから。
佐伯さんて なんかすごい!
 

 

 

7,480

----- 本文はここまでです。 コメントボタンは 左下にあります。 -----