居眠り磐音・自問自答

「あれこれ」書きたいのですが、・・・、たぶん、・・・、ずっと「居眠り磐音」一辺倒!

175.あの場所は今 12「地蔵蕎麦」 20210227

居眠り磐音 江戸双紙 「あの場所は今」 12
「地蔵蕎麦」

「地蔵蕎麦」の場所がわかるのは
第5巻 龍天ノ門 第4章 危機海辺新田 246p(決定版では248p)で
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 両国橋を抜けると東広小路の賑(にぎ)わいを見ながら、竪川に沿って北辻橋まで行き、横川へと入った。
 江戸の内海に人った弁才船から積みかえられた、藍玉(あいだま)などを載せた荷足舟が往来する横川を北へ向かい、長崎橋を過ぎると次が法恩寺橋だ。
 その東の橋詰に地蔵様が鎮座して、赤い衣を着せられていた。
 一郎太は、その地蔵の前にある小体(こてい)の蕎麦屋、地蔵蕎麦の店に入っていった。
 表ロは横川ではなく、横手の辻に開いていて、そのせいか店の佇まいはひっそりとしていた。
 だが、店の中は船頭や人足などで込み合っていた。
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とあります。

その前
第5巻 龍天ノ門 第4章 危機海辺新田 244p(決定版では246p)に
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 「現伯の屋敷が松倉町、妾の家が四ッ目近くなれば、地蔵の家をわれらの連絡(つなぎ)場戸といたせ」
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とあったり

居眠り磐音江戸双紙-05-龍天ノ門-第4章-危機海辺新田 245p~246p(決定版では247p)に
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 「本所の法恩寺橋近くに地蔵の竹蔵(たけぞう)と呼ばれる十手持ちがおります。まずはそこへ顔を出しますか」
 一郎太が磐音を誘った。笹塚が地蔵の家を連絡場所にせよと命じたのは御用聞きの家か。
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とあったりして 地蔵の家が 地蔵の竹蔵の家で 地蔵蕎麦なのがわかります。

地蔵蕎麦が 法恩寺橋の東詰めにあるのはわかるのですが 橋を通る道の北側にあるのか南側にあるのかがわかりません。

吉田喜久雄さんの労作「『居眠り磐音』江戸地図」には 東詰めの南側にあるように描かれています。

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吉田さんの地図に従うと 地蔵蕎麦の今は 次の地図の「16」あたりになります。

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そこで 行ってきました。

次の写真は 法恩寺橋東詰めの南にのびる河岸路の角から撮った「地蔵蕎麦」です。
店の入り口は 写真の自動車が置いてある面ではなく階段のある面となります。

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また 東詰め北角から撮ったのが 次の写真です、 

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道幅が 磐音の時代とは ずいぶんと違うはずですから あくまでも相対的位置となります。

 

Gの距離測では 金兵衛長屋から地蔵蕎麦までは 2.9km 徒歩38分だそうです。

 

 

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