居眠り磐音・自問自答

「あれこれ」書きたいのですが、・・・、たぶん、・・・、ずっと「居眠り磐音」一辺倒!

177.あの場所は今 13「鵜飼百助邸」 20210311

居眠り磐音 江戸双紙 「あの場所は今」 13
「鵜飼百助邸」

「鵜飼百助邸」の場所は
居眠り磐音江戸双紙-10-朝虹ノ島-第2章-夜風地引河岸-p73~p74(決定版ではp76~p77) に
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 その屋敷は北と南の割下水のほば中間、地蔵の竹蔵が蕎麦屋を営む法恩寺橋か
 らまっすぐ西に下った吉岡町の裏通りにあった。
 通用ロの戸の内側には貧乏徳利をぶら下げて重し代わりとし、門番がいなくて
 もその重みで自然に閉じられる仕組みになっていた。
 そんな御家人の家の戸口に、
 「刀剣研師 鵜飼百助」
 と書かれた木札が打ち付けられていた。
 「御免くだされ」
 坂崎磐音は包平片手に提げて通用口を潜り、敷地の中で呼びかけた。
 森閑とした屋敷の一角から規則正しい物音がした。
 砥石の上を刃物が往復する音だ。
 磐音はしばし鵜飼邸の敷地を見回した。
 品川柳次郎の屋敷とほほ同じ広さの敷地ながら、鵜飼邸には鬱蒼とした庭が広
 がり、濃い緑がさわさわとした風に煽られていた。
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とあります。

イワネの著者・佐伯泰英がひたすら見詰めた「古い地図」がいつのものなのか わからないので ???な部分が多いのですが 吉⽥喜久雄さんの労作「『居眠り磐音』江⼾地図」を頼りに 鵜飼邸のあった場所を 推測しました。

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たぶん 墨田区石原4丁目35-16 あたりになるでしょうか? ・・・、そこにします。

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『品川柳次郎の屋敷とほほ同じ広さの敷地ながら』 とあるので 探してみると

居眠り磐音江戸双紙-03-花芒ノ海-第1章-深川夏出開帳-8p(決定版では14p)に
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 この朝、磐音は宮戸川の仕事の帰りに、貧乏御家人の次男坊、品川柳次郎を北
 割下水の拝領屋敷に訪ねた。
 拝領屋敷といえば聞こえがいいが、何十年と手人れもされていない壊れかけた
 屋敷だ。それでも御家人のこと、敷地は二百坪ほどの広さがあった。
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とあって 今から見ると そこそこ、・・・、いや かなりの広さだな と思います。

200坪の敷地の 間口と奥行きはどのくらいなのか。
間口と奥行きの長さの割合は 1:2か 1:3くらいでしょうか。
1:2なら 間口10間 奥行き20間 1:3なら 間口8間強 奥行き25間弱。
メートル換算すると 10間は18m 8間は14.4m 
今から見れば 広い間口です。

と言うことで 行ってきました。 

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今になって考えてみると ビルの奥の瓦屋根の家から奥の方が 鵜飼邸かもと思っています。

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 しっかりした塀の中に 屋根付き門のある家 鵜飼邸もこんな感じだったのかと思います。

 

Gの距離測によると

神保小路の佐々木玲圓道場からは 5.2km 徒歩1時間9分

金兵衛長屋からは 2.8km 徒歩37分

今津屋からは 2.3km 徒歩31分

になるようです。

 

 


 (02020)
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