居眠り磐音・自問自答

「あれこれ」書きたいのですが、・・・、たぶん、・・・、ずっと「居眠り磐音」一辺倒!

222.あの場所は今 15「三囲稲荷」 20220411

居眠り磐音 江戸双紙 「あの場所は今」 15
「三囲稲荷」

奥さんが テレビの「居眠り磐音 江戸双紙」を見ていて
原作を読み始めて はまっちゃって
僕もつられて 見たり読んだりして はまっちゃいました。
そこで 磐音と闘った人たちとか 各巻各章に出てきた人たちとか
磐音ゆかりの場所の今とか を紹介したくなって、・・・、紹介しています。

今回は 今津屋の御寮近くにある「三囲稲荷」の今を 紹介します。
「三囲稲荷」が初めに出てくるのは
居眠り磐音江戸双紙 第三十三巻 孤秋ノ春 第一章 弔いの日々 p007 かと思います。
第一章の冒頭から

桜の季節を迎えていた。
隅田川が浅草川と里の人に呼ばれる辺り、竹屋ノ渡しの小梅村側の船着場は、三囲稲荷近くにあった。
その昔、田圃の中にあったことから、田中稲荷と呼ばれていたそうな。
小梅村の鎮守である田中稲荷は、弘法大師が勧請した社を文和年間(一三五二~五六)に近江三井寺の源慶が再興した。
この源慶が、社の跡から白狐に乗った老翁の像を掘りだしたところ、白狐が現れてご神体の周りを三度回ったことから三囲稲荷と称するようになったとか。

と書かれています。

実は 今津屋の御寮がこの近くにあるので 三囲稲荷が話題になります。
詳しくは 「イワネ」を読んでください。

ちょっと ??? なのは 「イワネ」では 三囲稲荷のあるのは 小梅村となっていますが 江戸時代の地図では 須崎村なのです。
尚武館のあった神保小路が 神田小川町ではなく 神田三崎町となっていたり 時々 ??? となります。

以下 三囲稲荷の 今昔の地図と 今の写真を紹介します。

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明和8年(1771)分間江戸大絵図から

 

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天明9年(1789)分間江戸大絵図から(右下に小梅村があります)

 

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吉田喜久雄氏の労作:磐音ゆかりの地図から

 

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今の地図では「三囲神社」となっています。

 

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鳥居には「三囲社」とあります。

 

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境内には 社殿に一番近いところに「キツネ」がいるので やっぱり「稲荷」ですね。

 

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