居眠り磐音・自問自答

「あれこれ」書きたいのですが、・・・、たぶん、・・・、ずっと「居眠り磐音」一辺倒!

161.あの場所は今 4「豊後関前藩江戸上屋敷」 20201116

居眠り磐音 江戸双紙 「あの場所は今」 4
「豊後関前藩江戸上屋敷
前回 「次回は 直心影流佐々木玲圓道場」と書いたのですが 納得のいく場所を推測できないでいます。
別サイトで あれこれ書き散らしたのですが また双葉文庫版と文春文庫版(決定版)との整合性や 江戸地図の出版時期のことなどで ??? が溜まっています。
そこで 今回は 「豊後関前藩江戸上屋敷」の今 を紹介することにしました。

第2巻 寒雷ノ坂 第5章 蒼月富士見坂 358p-359p(双葉文庫版)(文春文庫版では361p-362p)に

豊後関前藩六万石の上屋敷駿河台富士見坂の北側、旗本屋敷に囲まれるようにあった。
表門から御城に向かって南に下ると、右手に常陸土浦(ひたちつちうら)藩九万五千石の、左側には山城淀(やましろよど)藩十万二千石の上屋敷が向かい合っていた。

とあります。

下は吉田氏の労作「居眠り磐音江戸地図」(双葉文庫)の「豊後関前藩上屋敷」の部分です。

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下の地図は靖国通りにあった案内図で右の方に「富士見坂」が見えます。

「豊後関前藩江戸上屋敷」は下の地図では「富士見坂」の突き当り「大岡」邸のある街区となっています。

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下は 磐音がいた時代(明和8年[1771])の「豊後関前藩江戸上屋敷」付近の地図です。

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ほぼ同じ範囲を描いた現在(と言っても2003年ですが)の地図が下の図です。
面白いことに1856年当時の富士見坂は現在では「お茶の水仲通り」となっていて 富士見坂の名前は別の道につけられています。
磐音のいた時代にはには明大通り靖国通りに通じていなかったようです。

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上の地図から考えると「豊後関前藩江戸上屋敷」は 今の「太田姫稲荷神社」と「お茶の水スクエア」の場所にあったことになります。
下は「太田姫稲荷神社」の東南角の写真です。

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手前が 「富士見坂」で 当時この場所は丁字路になっていて右に行く道はありませんでした。

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上の写真は「太田姫稲荷神社」の鳥居ですが後ろのビルも「豊後関前藩江戸上屋敷」だったことになります。

ちなみに 「豊後関前藩江戸上屋敷」は G.の距離測で「金兵衛長屋」からは約4.3km徒歩58分、「今津屋」からは約3km41分、「佐々木道場」からは650m9分となるようです。

 

 

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