居眠り磐音・自問自答

「あれこれ」書きたいのですが、・・・、たぶん、・・・、ずっと「居眠り磐音」一辺倒!

171.あの場所は今 10「船宿・川清」 20210131

居眠り磐音 江戸双紙 「あの場所は今」 10
「船宿・川清」

磐音が今津津屋と関わりを持ってから江戸の水運利用で何かと世話になっている船宿です。
船頭の小吉とは特に昵懇の仲となっています。

川清が最初に出てくるのは

第6巻 雨降ノ山 第1章 隅田川花火船 52p で
由蔵が新三郎に許しを与え、その足で三人は店前の船宿川清に行き、明日の宵乗る猪牙舟の前で船頭と顔合わせをした。

とあるので 両国橋西広小路の北側になります。
また同じ章の59pには

二人は昼餉を食べ終わると、柳橋際の船宿川清の裏手の船着場に横付けされた
神田一丸を調べに行った。

と書かれています。

吉田喜久雄さんの労作「『居眠り磐音』江戸地図」では 今津屋と川清の間に 町屋が建っているようになっていますから 「店前」というにはチョット、・・・、まいいや。

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今の柳橋にも 名前は違いますが(当たり前か!) 船宿があります。

 

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上の写真は柳橋神田川の岸にある船宿で 川清もこのようなところから 船に乗り降りしたのかな? と思えるところで いい感じです。

下の写真は 上の場所を柳橋北詰近く神田川の上から 眺めたところです。

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川清の宿本体は 船着き場の南側にある 今ではビル二棟のところと言えるかと思っています。

 

船宿「小松屋」さん 残っていてくれて ありがとう! って気持ちです。

 

 

(01855)
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170.あの場所は今  9「唐傘長屋」 20210123

居眠り磐音 江戸双紙 「あの場所は今」 9
「唐傘長屋」

磐音の江戸暮らしでの師匠の幸吉やおそめ、おきねが住んでいる長屋です。

その場所は


居眠り磐音江戸双紙 02 寒雷ノ坂 第2章-第二章 東広小路賭矢 p98(双葉文庫版)文春文庫の決定版では p98)に

「それがし、坂崎磐音と申して、深川六間堀町の金兵衛長屋に厄介になってお
る」
「なんだ、うちと同じご町内だ」
と言ったのはおきねだ。
「あたし、猿子橋際の唐傘長屋」
「おうおう、天気ならば堀端に傘が干してあるところか」
「それそれ。金兵衛さんには子供のときから怒鳴られながら育ったわ」
と笑ったおきねは、・・・

とあります。

 

猿子橋の西側は 「御籾蔵」(←磐音のいた時にはなかったのですが)と「金兵衛長屋」がありますから 東側にあることになります。

猿子橋東詰の北側か南側かと言えば 明和8年(1771)の分間江戸大絵図でも 南側は 「井上河内守」の屋敷になっているので 北側ということになるはずです。

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吉田喜久雄さんの労作「『居眠り磐音』江戸地図」でも 北側で六間堀東河岸路を少し北に行ったところとなっています。

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そこで 行ってきました。

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以前 「猿子橋」と紹介した写真ですが 奥の横断歩道手前から中央の立ち樹までの道路が「猿子橋」でその奥シャッタの降りているビルの左側に入ったところに「唐傘長屋」があった場所と言えます。

六間堀川は 埋め立てられて ビルが建っています。

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上の写真は猿子橋東北角から東河岸路沿いを撮ったものですが 「唐傘長屋」は左側に写っている車の手前の建物辺りから奥になるかと思います。

磐音がいたころとは 道幅も違うでしょうから ま 相対的な位置で ということにしてください。

 

 佐伯泰英さんにお願い!

磐音シリーズの新作「幼なじみ」なんかを 書いていないで 「空也十番勝負」の続きを 書いてください!

 

 

(01789)
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169.各巻章でX番目に出てくる人物 4 20210108

各巻各章で一番最後に出てくる人名 2

奥さんが テレビで 「磐音」を観て はまっちゃって 双葉文庫版を全巻揃えて 読んでいるのを 見ていて 僕も つられて テレビを観て 原作も読んで 「磐音」に はまっちゃいました。

そこで あれこれ 「磐音」に興味が湧いて あれこれ まとめを始めました。

今回は 各巻各章で一番最後に出てくる人名で 1回のみの名前を五十音順で紹介します。
( )内のページは「双葉文庫版」のもので 「文春文庫版」とは異なります。

朝倉軍大夫直兼 靜流薙刀会得者・旅の武芸者 (第19巻 第四章 p265)
石岡淳一郎 旅の武芸者。雇われて磐音の刺客になる。八条流 第51巻 第一章 p073)
偉陽明 唐人抜け荷の親玉・偉玄祥の弟。佐久間・井上・綿谷を斃した唐人。磐音に斃されました[108人目](272p) (第18巻 第四章 p273)
岩村籐右衛門 中川淳庵の恩人・元若狭小浜藩御側後用人 (第07巻 第3章 p211)
お慧 源尾孫太夫の姉娘 (第11巻 第3章 p211)
おそめ 幸吉の幼なじみ・唐傘長屋住人。今津屋に奉公の後縫箔職人江三郎の弟子になりました。 (第06巻 第二章 p149)
おねこ 麹町武具屋・竜吉や千太郎と名のる美人局淡賀左井蔵の仲間 (第13巻 第一章 p075)
勝五郎 野分の勝五郎・火焔の寅三の兄貴分.磐音に斃されました32人目(214p) (第03巻 第3章 p214)
吉右衛門 両替商今津屋主人 (第01巻 第四章 p280)
国次郎 相模川渡し船の船頭 (第06巻 第3章 p218)
幸吉 鰻採り名人・磐音の江戸暮しでの師匠。おそめの幼なじみ。鰻蒲焼宮戸川鉄五郎の弟子になりました。 (第05巻 第五章 p361)
小吉 小吉小吉船宿川清の船頭 (第35巻 第二章 p135)
小林琴平 舞・奈緒の兄。豊後関前藩で250石納戸頭を継ぐことになっていました。上意打ちで磐音に斃されました。 (第28巻 第3章 p198)
指田精左衛門茂光 中条流道場主・7代目。当代 (第17巻 第3章 p218)
佐野善左衛門政言 直参旗本。新番士。城中で田沼意知に対し刃傷に及びました。 (第46巻 第3章 p197)
太夫 西国屋次太夫・廻船問屋 (第03巻 第四章 p281)
四郎兵衛 吉原会所頭分 (第24巻 第四章 p261)
新八 野猿秀太郎の子分・虫売りの新八 (第15巻 第五章 p343)
橘右馬介忠世 独創二天一流。佐々木磐音暗殺団5人の刺客のうち4番手でしたが.5番目になって磐音に斃されました(320p) (第31巻 第五章 p323)
田沼意知 田沼意次の子。若年寄。山城守。佐野善左衛門政言に城中で斬られました。 (第46巻 第四章 p263)
鶴吉 花川戸の三味線造り三味芳四代目芳造の次男。三味芳六代目。浅草聖天町に店を持ちました。 (第32巻 第四章 p265)
唐八 鰍沢の満エ門の手下 (第15巻 第3章 p214)
鳥居 若年寄・鳥居伊賀守 (第14巻 第一章 p071)
那尾 奈緒と京大原口まで一緒でした。持っていた奈緒の描いた舞扇を磐音に渡しています。 (第04巻 第四章 p268)
白鶴 小林奈緒の吉原での源氏名 (第11巻 第五章 p347)
土子順桂吉成 遠江の出。田沼意次に恩義のある磐音への刺客。磐音に斃されました。 (第47巻 第一章 p074)
福坂利高 豊後関前藩福坂家分家嫡男。江戸家老になりましたが奢侈が過ぎ粛正されました。 (第05巻 第二章 p138)
藤田覚之助 陣内城吉宗世に従って磐音を追ってきた幕府御小姓組の一人 (第33巻 第3章 p198)
史吉 伴吉の倅。おとくと恋仲になっています。 (第05巻 第3章 p208)
松平 由蔵が返済を受けに行った先 (第11巻 第一章 p073)
三浦庄司 田沼意次用人 (第32巻 第一章 p071)
宮松 今津屋小僧から手代になりました。 (第23巻 第五章 p333)
山瀬金大夫 豊後関前藩家臣。関前藩浜奉行・あだ名は種瓢・タイ捨流達人。磐音に斃されました。 (第21巻 第四章 p282)
下中お咲 荒戸の浜で若侍と襲われていました。猪俣平八郎と駆け落ちをします。 (第22巻 第3章 p208)
河出舞 河出慎之輔の妻(旧姓小林)・小林琴平の長妹 (第48巻 第二章 p135)
舘野桂太郎 山形藩主席家老舘野十郎兵衛忠有の嫡男。無外流と林崎夢想流居合いの達人 (第26巻 第3章 p197)
歌女 丸目喜左衛門高継の孫娘。磐音に斃されました。 (第29巻 第二章 p133)
久米仁王蓬莱 平内流。佐々木磐音暗殺団3番手。磐音に斃されました。 (第24巻 第3章 p197)
佐久間 和歌山藩雄ノ峠国境番所の役人 (第36巻 第四章 p273)
佐々木おえい 佐々木玲圓内儀。玲圓と共に徳川家基に殉死をしました。 (第25巻 第3章 p204)
坂崎照埜 坂崎磐音の母親 (第40巻 第一章 p071)
坂崎正睦 磐音の父。関前藩中老から関前藩国家老になりました。 (第40巻 第五章 p333)
室町光然 高野山金剛峯寺奥之院副教導 (第37巻 第3章 p218)
仁助 早足の仁助・豊後関前藩の小者・連絡係 (第09巻 第四章 p276)
菅沼梅翁 菅沼資寅。菅沼織部正義輝の叔父 (第13巻 第二章 p144)
速水右近 速水左近の次男。尚武館住み込み門弟 (第49巻 第四章 p260)
竹蔵 地蔵の竹蔵・御用聞き・地蔵蕎麦の亭主 (第20巻 第3章 p200)
竹村修太郎 竹村武左衛門長男。刀研ぎ師鵜飼百助へ弟子入りをしました。 (第43巻 第3章 p198)
竹村勢津 竹村武左衛門妻 (第29巻 第3章 p197)
竹村早苗 竹村武左衛門長女。尚武館への住込み奉公から宮戸川への奉公に替わり磐音たちが姥捨ての郷から江戸にもどったときに小梅村尚武館に再び奉公に戻りました。 (第48巻 第一章 p068)
中川淳庵 若狭小浜藩士・蘭方医・本名玄鱗 (第08巻 第四章 p286)
天童赤司 丹石流・市村道場客分。磐音に斃されました。 (第01巻 第3章 p207)
北村小三郎 速水左近の内用人。甲府勤番につく左近に同道しました。 (第39巻 第一章 p069)
本多鐘四郎 佐々木玲園道場住み込み師範・磐音の兄弟子。依田お市祝言をあげて依田家の婿養子となりました。 (第18巻 第3章 p205)
本立耶之助。豊後関前藩大阪屋敷勤務。この後江戸屋敷勤務になりました。 (第42巻 第二章 p136)
木下俊次 豊後日出藩木下家分家立石領5000石領主の弟。福坂実高の養子となりました。 (第42巻 第一章 p071)

以上56名

 


(01758)
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168.各巻章でX番目に出てくる人物 3 20210103

各巻各章で一番最後に出てくる人名 1

奥さんが テレビで 「磐音」を観て はまっちゃって 双葉文庫版を全巻揃えて 読んでいるのを 見ていて 僕も つられて テレビを観て 原作も読んで 「磐音」に はまっちゃいました。

そこで あれこれ 「磐音」に興味が湧いて あれこれ まとめを始めました。

今回は 各巻各章で一番最後に出てくる人名で 複数回該当する名前を紹介します。

95回
 坂崎磐音 豊後関前藩中老から国家老になった坂崎正睦の嫡男。佐々木玲圓の養子になりおこんと祝言をあげました。一時清水平四郎を名乗り 最終的に坂崎姓に戻りました。
 さすが 磐音の物語です。坂崎・佐々木・清水の各姓の時合わせて集計しました。

15回
 おこん 金兵衛の娘。今津屋の奥向き奉公人。磐音と祝言をあげるため速水左近の養女になって佐々木磐音と祝言をあげて佐々木おこんとなりました。一時清水いねを名乗り最終的に坂崎おこんとなっています。
 磐音の物語のヒロインですから最後に出てくる名前も多くなくては! と思ったので、・・・、よかった!

9回
 品川柳次郎 御家人品川清兵衛次男。磐音とは今津屋用心棒仲間

8回
 霧子 元雑賀衆。佐々木道場住み込み門弟の一人。重富利次郎と夫婦になりました。
 笹塚孫一 南町奉行所年番方与力

7回
 松浦弥助 薬売り・印肉売りに扮装しています。公儀お庭番衆から吹上組。霧子の師匠

6回
 佐々木玲圓 直心影流道場主。山田平左衛門光徳一風斎の直弟子。磐音を養子にとり佐々木道場を継いでもらいました。家基に殉じて自裁しました。
 木下一郎太 南町定廻り同心。幼馴染依田お市と夫婦になっています。

5回
 重富利次郎 土佐高知藩山内家江戸藩邸近習目付重富百太郎の次男。佐々木玲園道場住み込み門弟。豊後関前藩に仕官して霧子と祝言をあげています。
 由蔵 今津屋老分番頭

4回
 松平辰平 松平喜内の次男。佐々木玲園道場住み込み門弟。武者修行中に知り合った福岡箱崎屋次郎平の三女お杏と夫婦になりました。福岡藩に仕官しました。
 速水左近 佐々木玲園剣友。佐々木玲園道場客人。大身旗本。三千石高。徳川家治側用人奏者番。今津屋吉右衛門とお佐紀の仲人。甲府勤番追手組支配を命じられたこともあります。

3回
 小田平助 戸田天信正流槍折れ。福岡藩郡奉行支配下芦屋洲口番の5男。尚武館客分。自称尚武館門番。
 金兵衛 金兵衛長屋差配。おこんの父親。どてらの金兵衛
 坂崎空也 磐音とおこんの嫡子。安永9年(1780)元旦に姥捨ての郷で誕生。豊後関前から薩摩藩領への潜入を試みています。
 中居半蔵 豊後関前藩御直目付。藩物産所組頭。江戸留守居役兼用人から国表家老になっています
 小林奈緒 小林琴平の末妹・磐音の許嫁。白鶴太夫。山形の紅花商人前田屋内蔵助に見受けされまた。内蔵助が亡くなった後江戸に出て紅花屋を開き 豊後関前で紅花栽培を成功させました。

2回
 鵜飼百助 御家人小普請組。刀剣研師。天神髭の百助。佐々木道場の甕から出てきた太刀と短刀を研いでいます。
 お杏 福岡箱崎屋次郎平の三女。武者修行中の松平辰平と知り合い福岡藩藩士となった辰平と夫婦になりました。
 椎葉お有 御家人。学問所勤番組頭160石椎葉弥五郎の娘。品川柳次郎と夫婦になりました。
 千次 吉原会所の若い衆。磐音と吉原会所の兄貴分園八と共に出羽山形に旅をしています。
 竹村武左衛門 元伊勢・津藩藤堂家家臣。磐音の今津屋用心棒仲間
 神原辰之助 寄合神原主計の嫡男。尚武館住み込み門弟

 

 

(01747)
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167.あの場所は今  8「桂川邸」 20201225

居眠り磐音 江戸双紙 「あの場所は今」 8
桂川邸」

御典医桂川家3代の屋敷は 駒井小路にあるとあります。
このことが 初めに出てくるのは 
第9巻 遠霞ノ峠 第4章 八丁堀三方陣 277p(双葉文庫版)(文春文庫版では281p)で
『 昼下がり、坂崎磐音と若狭小浜藩藩医中川淳庵は肩を並べて、神保小路の北
側、駒井小路に入っていった。
奥医師桂川国瑞の屋敷を訪ねようとしていた。 』
また 第25 白桐ノ夢 第1章 殴られ屋 67p(双葉文庫版)(文春文庫版では70p) には
『 神保小路と駒井小路はともに御城の北側にあって、尚武館と桂川邸はせいぜい
八丁ほどの距離だ。 』
と書かれています。

吉田喜久雄さんの労作「『居眠り磐音』江戸地図」にある「桂川邸」が次の図です。

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G.の距離測では 神保小路西詰からまっすぐ北に行く道で 500m6分の距離で せいぜい八丁ほど とは 誤差の範囲でしょうか?

今の地図からは 駒井小路は 専修大学弘道会ビルの間の道とのことです。
吉田さんの絵図によると 桂川邸は 駒井小路に北側にありますから 「弘道会ビル」そのものとも 言えなくもありません。(←もう少し西側かも?)

ということで 「桂川邸」の今は 次の写真になります。

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居眠り磐音江戸双紙 25 白桐ノ夢 第4章 西の丸の怪 258p(双葉文庫版)(文春文庫版では262p)
『 磐音はそう思いつつも、いつもなら駒井小路を東に辿り+神保小路に向かうべき
ところを西へと武家地を上がり、突きあたりを南に、今川小路へと曲がった。
――中略――
高家の大沢家と御書院番頭白須家の塀の間を抜けると御堀端に出た。
右に行けば俎橋、左に下れば雉子橋だ。 』
この内容がわかる地図が 下の「嘉永3年(1850)〔江戸切絵図〕. 駿河台小川町絵図」です。

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ただ 磐音のいた時代の絵図ではないんです、・・・、残念!

磐音のいた時代にも 「表高家の大沢家」はありますが 「御書院番頭白須家」のところには 「矢シマ家」でした。
白須家ではなく 矢シマ家としても不都合は全くありません。

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桂川家の屋敷は 今の中央区築地1丁目10番地域に 甫筑が正徳元年(1711)に拝領して以降、幕末まであったとのことで 「イワネ」の内容とは異なります。

佐伯さんが 「あとがき」かなにかで 「話の都合上 桂川家は駒井小路にあることにした。」と書いていてくれれば 納得します。
ただ 地図は 磐音がいた時代のものを使ってほしいです。

吉田さんの労作である「原図」を 編集した「プロジェクトチーム」のなかに 「磐音のいた時代の地図を使いましょう」と言う人はいなかったのでしょうか?

 

 

 (01723)
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166.各巻章でX番目に出てくる人物 2 20201222

各巻各章で一番初めに出てくる人物 2

奥さんが テレビで 「磐音」を観て はまっちゃって 双葉文庫版を全巻揃えて 読んでいるのを 見ていて 僕も つられて テレビを観て 原作も読んで 「磐音」に はまっちゃいました。

そこで あれこれ 「磐音」に興味が湧いて あれこれ まとめを始めました。 

前回は 各巻各章で 一番初めに出てきた人物で 2つの章で一番初めに出てきた人までを 紹介しました。

今回は 各巻各章で一回のみ最初に出てきた人物を 巻章順に紹介します。

河出慎之輔(第1巻 陽炎ノ辻 第一章 向夏一石橋) 御先手組組頭
茂造(第5巻 龍天ノ門 第一章 初春市谷八幡) 石工
松吉(第5巻 龍天ノ門 第二章 名残雪衣紋坂) 宮戸川下職・鰻割き
鉄五郎(第5巻 龍天ノ門 第四章 危機海辺新田) 鰻蒲焼き 宮戸川親方・二代目
浅野光晟(第6巻 雨降ノ山 第一章 隅田川花火船) 浅野光晟。芸州浅野家広島藩3代藩主
釜崎弥之助(第6巻 雨降ノ山 第三章 蛍火相州暮色)越後高田藩家臣・馬廻り55石
大久保宇左衛門(第8巻 朔風ノ岸 第三章 早春下田街道) 寄合旗本3000石・土佐守
中川淳庵(第8巻 朔風ノ岸 第五章 待乳山名残宴) 若狭小浜藩士・蘭方医・本名玄鱗
五郎造(第9巻 遠霞ノ峠 第四章 星明芝門前町) 権造一家代貸
おさよ(第12巻 探梅ノ家 第一章 吉祥天の親方) 鉄五郎の女房・宮戸川女将
桂川甫筑邦教(第12巻 探梅ノ家 第五章 白梅屋敷のお姫様) 5代将軍綱吉の奥医師蘭方医桂川家初代
フェイト(第13巻 残花ノ庭 第五章 カピタン拝謁) 阿蘭陀商館長
観世新九郎(第15巻 驟雨ノ町 第一章 暗殺の夜) 日光社参後の猿楽演者
宮松(第15巻 驟雨ノ町 第三章 鰍沢の満ェ門) 今津屋小僧
学仙坊(第16巻 蛍火ノ宿 第一章 おいてけ堀勝負) 大和国龍門の僧・滝不動を安置
太田源五郎(第16巻 蛍火ノ宿 第二章 白鶴の身請け) 武蔵岩槻城主・北条氏政次男。広徳院
宇右衛門(第16巻 蛍火ノ宿 第三章 禿殺し) 吉原・大籬丁字屋楼主
新三郎(第17巻 紅椿ノ谷 第二章 鰻屋の新香) 今津屋振場役番頭
偉陽明(第18巻 捨雛ノ川 第五章 面影橋の蕾桜) 佐久間・井上・綿谷を斃した唐人・磐音に斃されました
倉三(第20巻 野分ノ灘 第五章 遠州灘真っ二つ) 豊後関前藩御用船正徳丸の主船頭
品川幾代(第22巻 荒海ノ津 第四章 恋の芽生え) 品川柳次郎母親
桂川甫三国訓(第24巻 朧夜ノ桜 第一章 白梅屋敷の花嫁) 桂川甫周国瑞の父
新造(第26巻 紅花ノ邨 第四章 籾蔵辻の変) 旗本500石井戸家の飯炊き
内蔵助(第26巻 紅花ノ邨 第五章 半夏一ツ咲き) 奥州山形藩内の紅花商人・前田屋内蔵助・奈緒の夫
設楽小太郎貞綱(第28巻 照葉ノ露 第一章 酒乱の罪) 直参旗本2150石。直心影流佐々木道場門弟
鳥居忠政(第28巻 照葉ノ露 第四章 真剣のこつ) 陸奥磐城平藩藩主
伴蔵(第29巻 冬桜ノ雀 第三章 武左衛門の外泊) 下谷広小路の読売屋早耳屋の番頭
丹五郎(第29巻 冬桜ノ雀 第四章 師走の話) 渡世人能楽の丹五郎
季助(第31巻 更衣ノ鷹(上) 第三章 二の江村の放鷹) 尚武館の門番
神原辰之助 第32巻 更衣ノ鷹(下) 第一章 誘い音) 神原主計の嫡男。尚武館住み込み門弟
徳川家基(第32巻 更衣ノ鷹(下) 第五章 死と生) 徳川家治の世子
文吉(第33巻 孤愁ノ春 第二章 長屋の花見) 鉄砲洲河岸の船問屋江戸一が持つ周防丸の主船頭
本多忠晴(第33巻 孤愁ノ春 第四章 遠湖騒乱) 遠江榛原郡相良藩藩主
玉吉(第34巻 尾張ノ夏 第二章 尾州茶屋家) 尾州茶屋家の手代
鶴吉(第34巻 尾張ノ夏 第四章 美林横流し) 花川戸の三味線造り三味芳四代目芳造の次男。三味芳六代
目中島三郎清定 第35巻 姥捨ノ郷 第二章 再びの逃避行) 尾州茶屋家の大番頭。尾州茶屋家当主の叔父
梅造(第35巻 姥捨ノ郷 第三章 水行山行の計) 尾州茶屋家の商い船熱田丸の主船頭
光格天皇(第37巻 一矢ノ秋 第二章 夏之章 早苗蜻蛉) 第119代
雹田平(第37巻 一矢ノ秋 第四章 冬之章 七人の侍) 田沼家の家系図作りを頼まれた坂崎磐音暗殺団の頭分
重富百太郎(第38巻 東雲ノ空 第三章 霧子の迷い) 土佐高知藩20万石山内家家臣。重富利次郎の父。江戸藩邸近習目付
小吉(第40巻 春霞ノ乱 第四章 正睦の行方) 船宿川清の船頭
坂崎照埜(第40巻 春霞ノ乱 第五章 照埜の憂い) 坂崎磐音の母親
江三郎(第41巻 散華ノ刻 第四章 祝い着) 呉服町の縫箔屋の親方・三代
目福坂実高(第42巻 木槿ノ賦 第二章 照埜の墓参り) 豊後関前藩藩主
お清(第43巻 徒然ノ冬 第一章 修太郎の迷い) 姥捨ての郷の巫女頭を務めていた梅衣のお清
松平定信(第44巻 湯島ノ罠 第一章 霧子の復活) 白川松平家3代藩主。御三卿田安家初代徳川宗武の7男。徳川吉宗の孫
お杏 第45巻 空蟬ノ念 第三章 お稲とお杏) 福岡箱崎屋次郎平の3女
松平喜内(第45巻 空蟬ノ念 第四章 小梅村の宴) 旗本870石。松平辰平の父。若年寄支配御小納戸衆奥之番
次郎平(第45巻 空蟬ノ念 第五章 老武者の妄念) 筑前博多の大商人・9代目箱崎屋次郎平。お杏の父
酒井忠休(第46巻 弓張ノ月 第三章 五人の若年寄) 出羽松山藩藩主。石見守。若年寄。25000石
徳川吉宗(第46巻 弓張ノ月 第四章 斬奸状) 8代将軍。紀州にいたころは頼方を名乗る
奈緒(第48巻 白鶴ノ紅 第三章 秋世の奉公) 小林奈緒。小林琴平の末妹・磐音の許嫁・白鶴太夫・前田屋内蔵助の内儀・最上紅前田屋主人
松平乗邑(第48巻 白鶴ノ紅 第四章 老中罷免) 延享2年(1745)吉宗に老中を罷免された
覚山志道尼(第48巻 白鶴ノ紅 第五章 お代の還俗) 鎌倉尼五山第二位松岡山東慶寺を開山。鎌倉幕府の第8代執権北条時宗正室
田丸輝信(第49巻 意次ノ妄 第四章 弥助、戻る) 直参旗本三男坊。佐々木玲園道場住み込み門弟
向田源兵衛(第50巻 竹屋ノ渡 第三章 右近の決断) 殴られ屋。間宮一刀流。古武道奥山流。我儘勝手流。元安芸広島藩家臣
村上仁五郎(第51巻 旅立ノ朝 第四章 寛政の戦い) 豊後関前藩目付方

 

以上 57名でした。

 

 

(01,707)

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165.各巻章でX番目に出てくる人物 1 20201218

各巻各章で一番初めに出てくる人物 1

居眠り磐音江戸双紙は 51巻あります。
各巻は5章で構成されていますから 各巻各章で一番初めに出てくる人物の名は 合計255になります。
何番目でも 同じじゃないか! と言われそうですが 各巻各章で 登場する人の数が違いますから そうだとは言えません。
ちなみに 登場人数が一番少ないのは 第15巻 驟雨ノ町 第四章 富士川乱れ打ち の章で 15名です、・・・、間違えていなければ、・・・、たぶん。
ということで ベスト15までは 全巻での登場順を まとめることができそうです。

ま とりあえず ベスト3くらいまでをあげてみて その後は 気分で ということにしようかと思います。

各巻各章で一番初めに出てくるのは 87の章で一番初めに出てきた 「坂崎磐音」でした。

磐音は 「佐々木磐音」になっても 22の章で一番初めに出てきて 第2位でした。

ま 磐音の物語なのですから 当然と言えば当然です。
坂崎姓でも 佐々木姓でも 磐音は磐音とすれば 磐音が109の章で一番初めに出てきたことになって 以下は 順次順位が繰り上がることになります。

3番目に多かったのは 8つの章で一番初めに出てきた 両替商今津屋の老分番頭「由蔵」でした。

4番目に多かったのは 7つの章で一番初めに出てきた 金兵衛長屋差配金兵衛の一人娘で今津屋の奥向き奉公人から旗本で御側御用人奏者番などを務め佐々木玲圓の剣友速水左近の養女になり佐々木玲圓の養子になった坂崎磐音と祝言をあげた「おこん」でした。
坂崎磐音と 佐々木磐音を まとめることにすると 「おこん」は 各巻各章で一番初めに出てきた人物で ベスト3に入ります、。。。、ちょっと嬉しい。
「由蔵」さんとは 1つ違い 佐伯さんが一か所 「おこん」と入れ替えてくれていれば 「おこん」が第二位となったのに、・・・、ちょっと残念。

また 「重富利次郎」も 7つの章で一番初めに出てきました。
土佐高知藩山内家江戸藩邸近習目付重富百太郎の次男・佐々木玲園道場住み込み門弟。でぶ軍鶏と言われていました。豊後関前藩に仕官が叶い 霧子と祝言をあげました。

6つの章で一番初めに出てきたのは 以下の二人でした。
南町奉行所年番方与力 「笹塚孫一」
御家人品川清兵衛次男 「品川柳次郎」
「品川柳次郎」は 磐音とは今津屋用心棒仲間で 幼馴染の椎葉お有と所帯を持って 娘のおいちが生まれています。

5つの章で一番初めに出てきたのは 以下の二人でした。
「松平辰平」 旗本御小納戸衆松平喜内の次男・佐々木玲園道場住み込み門弟。やせ軍鶏と言われていました。磐音・おこんと豊後関前藩に同行してその後武者修行を始めて姥捨ての郷での戦いに参加 筑前博多箱崎屋次郎平の末娘と祝言をあげて 福岡藩に仕官しています。
「竹村武左衛門」 自称元伊勢・津藩藤堂家家臣 磐音とは今津屋用心棒仲間。陸奥磐城平藩下屋敷門番になりました。

4つの章で一番初めに出てきたのは 以下の3人でした。
「坂崎空也」 磐音とおこんの嫡子。安永9年(1780)元旦姥捨ての郷で誕生。
11代将軍徳川家斉から備前長船派2代目修理亮盛光2尺6寸7分余を拝領しました。
第35巻 姥捨ノ郷 第五章 高野奥之院 で 初出ですが それ以降で 一番初めに出てくるのが 4回あるなんて、・・・、スゴイ。
「小田平助」 福岡藩郡奉行支配下芦屋洲口番の5男。戸田天信正流槍折れ。尚武館客分。自称尚武館門番。
「坂崎正睦」 豊後関前藩の中老から豊後関前藩国家老になりました。磐音の父。

3つの章で一番初めに出てきたのは 以下の5人でした。
徳川家治」 十代将軍。安永5年(1776)卯月13日 八代将軍吉宗が参拝した享保十三年(一七二八)以来、四十八年ぶりに日光社参を実施。
徳川家康」 天正18年(1590)江戸入り・慶長11年(1606)江戸城本格工事をしました。
「銀五郎」 佐々木道場を改築した大工の頭領
「速水左近」 佐々木玲園剣友。佐々木玲園道場客人。大身旗本。御側用人奏者番を務めています。今津屋吉右衛門とお佐紀の仲人。田沼意次に嫌われ甲府勤番追手組支配を3年余り勤めました。
「松浦弥助」 公儀お庭番吹上組。薬売りや朱肉売りになっています。日光で霧子を捕え雑賀下人衆から抜けさせました。以来霧子から父あるいは師匠として慕われています。

2つの章で一番初めに出てきたのは 以下の9人でした。
「木下一郎太」 きのしたいちろうた 2 いちろうた 南町奉行所定廻り同心
「おそめ」 幸吉の幼なじみ・唐傘長屋住人・今津屋に奉公していた・縫泊屋江三郎親方に弟子入りをしました。
「本多鐘四郎」 佐々木玲園道場住み込み師範・磐音の兄弟子。依田お市祝言をあげて依田家の婿養子となりました。
「霧子」 元雑賀衆。家基暗殺に加わり弥助に捕えられて家基に助命され佐々木道場住み込み門弟となりました。重富利次郎と祝言をあげました。
「竹蔵」 地蔵の竹蔵・御用聞き・地蔵蕎麦の亭主
「福坂俊次」 豊後日出藩木下家分家立石領5000石領主の弟。福坂実高の養子。尚武館道場の弟子。
「中居半蔵」 豊後関前藩元御直目付から藩物産所組頭・江戸留守居役兼用人・国家老を拝命しています。
「佐々木玲圓」 直心影流尚武館佐々木道場主・山田平左衛門光徳一風斎の直弟子・長沼四郎左衛門徳郷と兄弟弟子・磐音の養父となる。家基に殉じて自裁しました。
空海弘法大師」 第33巻 孤愁ノ春 第一章 弔いの日々では「弘法大師」 第35巻 姥捨ノ郷 第五章 高野奥之院では「空海弘法大師」として 一番初めに出てきます。ここではまとめておきます。

各巻各章で一回のみ最初に出てきた人物を 紹介することになりますが 長くなりすぎるので 次回にします。

 

 

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