居眠り磐音・自問自答

「あれこれ」書きたいのですが、・・・、たぶん、・・・、ずっと「居眠り磐音」一辺倒!

159.あの場所は今 2 「鰻蒲焼宮戸川」 20201030

居眠り磐音 江戸双紙 「あの場所は今」 2

 「鰻蒲焼宮戸川

双葉文庫版 第1巻 陽炎ノ辻 第二章 暗雲広小路 75p(文春文庫版では77p) に
「北之橋前の宮戸川って鰻屋でさ。・・・」と金兵衛が言っています。

同じ章の 75p(双葉文庫版)(文春文庫版では80p)には
幸吉は北之橋を渡ると「鰻蒲焼宮戸川」の暖簾をかかげた小体な店の前を通り過ぎて、裏口に回った。

第1巻 陽炎ノ辻-第五章 雪下両国橋 310p(双葉文庫版)(文春文庫版では316p)
由蔵「おこんさん、これはどうしたことで ・・・・・・」
おこん「南六間堀町の宮戸川さんが、陣中見舞いだとお届けくださったんですよ」
由蔵「宮戸川さんとはお付き合いもないのに」
との会話があります。

この文章から 吉田喜久雄の労作が描かれたと思います。

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吉田喜久雄氏作成-磐音ゆかりの地図

次の地図は 新大橋の一部・御籾蔵・六間堀町などが描かれていますが 金兵衛長屋の場所は六間堀町にはなっていません。
また 宮戸川の場所は「北森下町」です。
ただし、この地図は磐音がいた時代から80年以上後の安政5年(1858)の本所深川絵図(尾張屋清七版)です。

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本所深川絵図(安政5年(1858)))尾張屋清七版

次の地図は明和8年(1771)の分間江戸大絵図の一部です。

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この地図には 御籾蔵がなく町屋になっています。
六間堀町もなくほとんどが森下町です。
この地図は 明和9年の大火事よりも前のものですから 大火事以後新大橋東の町屋を御籾蔵にしたのでしょう。

ま それはともかく 「宮戸川」のあったところの写真が次の2枚です。
ただ 今とは道路の幅も 六間堀の跡も違いますから 相対的位置でしかないのですが 六間堀を北の橋で渡ったところ 吉田喜久雄さんの地図によれば 北の橋東詰東北角となっています。

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宮戸川」の今(相対位置ですが)

上は北の橋西詰南から「宮戸川」を撮しました。

 

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宮戸川」の今(相対位置ですが)

北の橋東詰め北側から「宮戸川」を撮しました。
左に入る道路は六間堀東側の河岸路です。
手前左側の植え込みは六間堀跡になります。

 

ちなみに G.の距離測では 「金兵衛長屋」から「宮戸川」までは約350m 徒歩で5分となります。

 

次回は 「今津屋」の今 ですかね。

 

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